夜の11時。シンクには洗っていない食器が積み上がっていて、床にはいつのものか分からない髪の毛が落ちている。
僕はスマホで家事代行のページを開いて、料金のところまで読んで、「初回お試し」のボタンに指を伸ばしました。でも、押せなかったんですよね。
「いや、これくらい自分でやれよ」って、頭のどこかで声がしたんです。
結局その夜、僕はスポンジを握りしめて、半分死んだような顔でシンクを洗いました。眠かった。次の日も仕事だった。なのに、人に頼むことだけは、なぜかできなかった。
この感覚、あなたにも思い当たりませんか?
「家事は自分でやるべき」って、誰に言われたんだろう
家事代行を調べたことがある人なら、一度はこの壁にぶつかっているんじゃないかなと思います。
サービスの存在は知っている。料金も、思っていたほど高くないことも分かった。それでも最後の一歩が踏み出せない。理由を言葉にすると、だいたいこうなります。「家事くらい、自分でやるべきだから」。
これ、すごく不思議な感覚だと僕は思っていて。
仕事で疲れてコンビニ弁当を買うことには、そこまで罪悪感がない。美容院でシャンプーしてもらうことにも、マッサージに行くことにも、罪悪感はない。なのに「家の掃除を人に頼む」となった瞬間、急に「怠けてるんじゃないか」という声が湧いてくる。
おかしくないですか。同じ「自分でできることを人にやってもらう」なのに、家事だけが特別に「サボり」扱いされる。
しかもこの罪悪感、調べてみると本当に多くの人が抱えているんですよね。「自分でやるべきだと思って踏み切れない」「使ってるのを周りに知られたら、なんで自分でやらないのって言われそう」。あなただけが特別に意志が弱いわけでは、全くないんです。
まず先に言っておきたい。「もっと頑張れ」は解決策じゃない
ここで、ありがちなアドバイスを一度潰しておきたくて。
「時間の使い方を見直せば家事の時間くらい作れる」「家電をフル活用して効率化すればいい」「朝活して早起きすれば回せる」。こういう話、よく聞きます。
確かに、間違ってはいない。でもこれって全部、「あなたがもっと頑張れば解決する」という前提なんですよね。
僕はこの手の根性論が、あまり好きじゃないんです。だって、あなたはもう十分頑張っている。仕事して、ご飯食べて、寝て、また仕事して。その隙間に家事をねじ込んで、それでも回らないから悩んでいるわけで。そこに「もっと工夫しろ」と乗せるのは、溺れかけてる人に「もっと上手に泳げ」と言うのに近い気がしていて。
だから、効率化テクニックの話はしません。今日話したいのは、その手前にある「罪悪感そのもの」をどう手放すか、という話です。
会社では役割分担するのに、なぜ家事だけ一人で抱えるんだろう
ここで少し、発想を変えてみてほしいんです。
あなたが会社で働いているとして、全部の業務を一人でやっていますか。たぶん、やっていない。経理は経理の人がやって、営業は営業がやって、それぞれ得意な人が分担して、一つの仕事を回している。それを誰も「経理を人にやらせるなんて怠けだ」とは言わないですよね。
なのに、家のことになると急に「全部一人でやって当然」になる。これ、よく考えるとかなり変な思い込みだと僕は思っています。
実際、家事代行を使い始めた人の決め手として一番多いのが、まさにこの転換なんだそうです。「会社なら当たり前に役割分担するのに、なんで家事だけ自分一人でやらなきゃと思い込んでたんだろう」と気づいた瞬間に、すっと踏み切れたという声。
要は、適材適所なんですよね。
僕が負担に感じている料理を、それが得意で、しかも嬉しそうにやってくれるプロがいる。だったら、お互いにとってその方がいい。これは「自分の仕事を放棄した」んじゃなくて、「家庭を回すための作戦を立てた」というだけの話です。
もちろん、いいことばかりじゃない
とはいえ、ここで「だから今すぐ頼みましょう」と言い切るのは、ちょっと違うなと思っていて。
正直に書きますが、家事代行には地味にしんどい部分もあります。
一番あるあるなのが、「来る前に自分で掃除しちゃう問題」。散らかった部屋を見せるのが申し訳なくて、スタッフが来る前に必死で片付けてしまう。結果、「休むために頼んだのに、逆に疲れた」という本末転倒が起きる。これ、白状すると僕もやりかねないんですよね。片付けで汗だくになって自爆するタイプなので笑。それくらい多い失敗らしいです。
それから、他人が家にいる気疲れ。「お茶を出した方がいいかな」「ずっと座ってるのも気まずい」と気を使いすぎて、結局ゆっくり休めなかった、というケース。あとは単純に、スタッフさんの当たり外れもある。
ただ、これらってほとんど「初めてで勝手が分からないから」起きる摩擦なんですよね。玄関に近い水回りから頼んで他人がいる感覚に慣れるとか、「任せたら自分は休む」と最初に割り切るとか。心構え一つでだいぶ消える種類のしんどさだと僕は思っています。
「贅沢じゃないか」という声に、先に答えておく
ここまで読んで、たぶんまだ引っかかっているのは「でも、お金がもったいなくない?」という部分じゃないかなと思います。
これも正直に。スポット利用だと、だいたい2時間で4,500〜6,000円くらい。決して小さい金額ではないです。
でも、ちょっと換算してみてほしくて。これって、飲み会1回分とそんなに変わらない。そして、あなたが自分でやれば10時間かかることを、プロは3時間で終わらせてくれる。そう考えると、これは「家事をサボるための出費」じゃなくて、「10時間ぶんの自分の時間を買い戻す投資」に見えてこないでしょうか。
とはいえ、僕はここで「コスパがいいんだから使うべき」とは言いたくないんです。お金の感覚は人それぞれだし、価値を感じない人に無理に勧めるものでもない。
ただ一つだけ言えるのは、罪悪感の正体は本当はお金じゃない、ということです。
本当に手放したいのは、「ちょっと笑える自分」だったりする
家事代行を実際に使った人の声を読んでいて、僕がいちばん刺さったのが、これでした。
「ピカピカになった家を見て、ちょっと笑える自分に戻れた」。
家事が回らない状態って、ただ部屋が汚いだけじゃないんですよね。片付かないことが地味なストレスになって、それで家族にあたってしまって、そんな自分が嫌になって、という負のループに入っていく。スリップダメージみたいに、じわじわ気力を削られていく。
水回りが綺麗になっただけで「自分は一人じゃないんだ」と孤独感が和らいだ、という声もありました。家事って、突き詰めると「誰にも頼れず一人で抱えている感覚」そのものなのかもしれない、と僕は思っていて。
つまり、あの後ろめたさを握りしめて手放さないことで、僕らが本当に犠牲にしているのは、お金でも時間でもなく、「機嫌よく笑っている自分」なんじゃないかなと思うんです。
さいごに
最初の話に戻ります。
あの夜、僕はスポンジを握って、死んだ顔でシンクを洗っていました。「自分でやるべき」という声に従って、誰にも頼らず、一人で。
あの夜はそうでした。でも後日、僕は一度だけ、観念して水回りだけお願いしてみたんです。帰ったらシンクが鏡みたいに光っていて、髪の毛ひとつ落ちていない床を見て、なぜか少しだけ笑えてしまった。あんなに「自分でやるべき」と肩に力を入れていたのに、です。
それで気づいたんですよね。あのとき押せなかったボタンは、サボりへの入り口なんかじゃなかった。「もう少し機嫌よく生きていい」という許可証みたいなものだったんじゃないかな、と。
「家事は自分でやるべき」。その言葉、本当にあなた自身が心から思っていることですか。それとも、いつの間にか刷り込まれた、誰かの声でしょうか。
もし少しでも後者な気がするなら、いきなり契約じゃなくていいので、初回お試しのページを一度開いてみるくらいから始めてみるのも、悪くないと思います。あの夜の僕みたいに、画面を閉じてしまう前に。
それで「ちょっと笑える自分」に戻れたなら、それはきっと、サボりとは正反対のことです。
興味があれば、こちらの記事も覗いてみてください。
-
-
家事代行は贅沢?「時間と心を買う投資」という考え方
レジでは数百円、家事代行では固まる指 コンビニに寄って、新作のスイーツとコーヒーをなんとなくカゴに入れる。会計は500円ちょっと。罪悪感なんて、特にない。 スマホのゲームに、月に何百円か課金している。
rakukaji.info
-
-
家事代行で後悔した人の共通点5つ|初回前に知っておきたい注意点
予約ボタンの前で、指が止まる 家事代行のサイトを開いて、料金プランを眺めて、申込画面の一歩手前まで進んで。 そっとブラウザを閉じる。 数日後、またサイトを開いて、口コミを検索して、「家事代行 後悔」と
rakukaji.info